心の底にある服従・依存の関係

劣等感の強い人は欠点にこだわる。
あるいは欠点に逆にこだわる人が劣等感が強いといったほうが適切かもしれない。

そして自分がその欠点にこだわることで、その欠点をものすごいことに感じ始める。
いずれにしても欠点があること自体が問題なのではなく、欠点にこだわることが問題なのである。

では、なぜ欠点にこだわるのだろうか。
それは、愛されるためには欠点があってはならないと思いこんでいるからである。

欠点があっても愛される、そう感じた時に、人はありのままの自分で生きられる。
完全主義から解放される。

対人恐怖症の人も、自分の欠点と思っていることにこだわる。
赤面する自分をふがいないと思う。そして赤面する自分に自分の注意が囚われてしまう。

普通の人は赤面してもそのことをそんな重大事に考えない。
だから赤面する自分に自分の注意が囚われない。

自分の欠点に囚われる人は完全主義の人だろう。
完全主義とは他人に対して自分が完全に映ろうということである。

完全でないとバカにされると思っている。その感じ方は幼い頃は正しかった。
親がノイローゼで、子供に理想の人間を求めたのだから。

そうした人間環境で育って大人になると、その完全がどこかズレている。
他人が自分に対して完全でないのに、どうして自分は他人に対して完全でなければいけないのか。

それはもともと本当の自分は嫌われる存在と思っているからである。
それは人間嫌いな人の中で育ったことの悲劇だろう。

おそらく幼い頃の支配的人間に対する服従・依存の関係が、心の底にこびりついてしまっているのだろう。