他者否定の人から絶対に認められることを期待してはならない
自己否定的な人は、他人の同情を期待する。他者否定の人は自己卑下しない。
相手のあらさがしをする。自己卑下する人は、あらさがしする人にとって、美味しい餌にすぎない。
自己否定の人は、自己卑下しながら、相手の同情を求めるが、
あらさがしをする人は、他者否定の人であるから、相手の卑下を徹底的に利用するのである。
心の底で寂しいと、ついつい相手の温かさを期待してしまう。
そこでひどく善意に出る。ところがそこを他者否定の人に足元をすくわれる。
心がさびしい人は自分が被害者なのに、加害者である相手をかばい出す。そこでまたなめられる。
他者否定の人は加害者なのであるが、自己卑下するような人と会うと、
自分が被害者のような顔をしはじめる。加害者なのであるが、被害者のような顔をしはじめる。
そうすると、心の底で寂しさを隠している人は、ついつい相手にいい顔をしてなめられる。
特に自己処罰の傾向のある人と、他者否定で心の葛藤を解決する人との間などは、酷いものである。
被害者、加害者は逆転するし、被害者が脅え、加害者が堂々としている。
被害者が、加害者に怒るのではなく、被害者がさらに脅かされるのである。
自己否定の人が他者否定の人にもて遊ばれるのは、心の底に寂しさを抑圧しているからである。
自己卑下する人が、他者否定の人と向き合ったとき大切なのは、次のことを
心にハッキリと置いておくことである。
「自分は目の前にいる人に慰めてもらう必要はない」
他者否定の人から絶対に認められることを期待してはならない。
それによって自己卑下する人は、悲劇をいっそう惨めなものにするのである。
心の底に寂しさを抑圧していると、飛んで火に入る夏の虫になる。
自己否定の人にとって大切なのは、自分は誰から認めてもらうのかということである。
この点を間違えて生涯悲惨な思いをする人もいる。