達成感がなければ満足はない

自分の意志を持っているとは、例えば人生の岐路に立たされた時に
選択ができるということである。

選択がその後の幸せを決めるとしたら、人は迷う。
このような時、優柔不断な人は選択ができない。悩む。

なぜならその選択によって、その後の自分がどうなるのかが決まるそれが怖いからである。
優柔不断な人は自分の力を信じていない。つまり、自分の意志を持っていないともいえる。

そして優柔不断なまま選択できないで日々が過ぎて行く。
優柔不断な人は意志もないし、選択の基準もない。

基準がないから、あれにもこれにもしがみついて何も振り落とせない。
そして優柔不断な人は、結果として「あー、あの時にこうしていれば」
「あー、あの時にこうしていなければ」といつまでも後悔していることになる。

優柔不断な人は断念することができない。執着の人でもある。
過去は戻らない。起きてしまったことは起きてしまったことなのである。

しかし優柔不断な人は、「あー、あの時にこうしていなければ」と悔やんでいる。
悔やんでいれば、いつかどうにかなると思っている。しかし、どうにもならない。

溺れそうになっている時に「助けてー」と叫ばないで、
「小さい頃に水泳を習っていればなー」と言っているようなものである。

良い子で悩んでいる人は、幸せとは成功すること、自分だけが得をすることと思っている。
人の期待だけで動いて、自分の意志で動かなかったからそう思えるのである。

自分の意志で生きてこなかったから、心の満足を体験していない。
心の満足がどういうものか体験で知らない。

だから幸せイコール社会的成功としか思えない。
社会的に成功しても、それが自分にとって充足を感じられなければ本当の幸せとは言えない。
達成感がなければ満足はない。

それに比べ、たとえ他人が認めなくても、自分自身に満足感があれば
それはそれでその人は幸せであろう。

一度しかない自分の人生である。たとえその選択が間違っていたとしても
自分の意志で選んだとしたら悔いはない。形は失敗でも心は納得している。