運は今日までの生き方の積み重ねの結果である

「自分は運が悪い。あの人は運がいい」と愚痴をこぼす人がいる。
その人の長年の生き様が、その人の「運」なのである。

毎日、毎日の行動の積み重ねが運なのである。運と思っていることの多くは運ではない。

それまでの日々の生活の結果にすぎない。
運が悪いのは、過去のツケを払ってるようなものである。

毎晩酒を飲んでばかりいて運動もしない人と、毎日栄養バランスを考え
質のいい食事をし、運動を心がけてきた人との間に十年後、
健康の違いが現れても不思議ではない。

幸運は今日の出来事ではない。今日までの生き方の積み重ねの結果である。
だから不運になった人は「あー、運がよかった」と思うことである。

自分は今日までおかしな生き方をしてきた。それをこの不運な事件が教えてくれた。

この不運な事件を機会に、生き方を変えようと思えばいいのである。
そうすれば、その不運が幸運への扉を開いてくれたことになる。

しかし不運を恨んでまた同じ生き方をしていれば、いつになっても幸運は訪れない。
自分の幸運、不運の話でなく、子供を考えるともっとわかりやすいかもしれない。
子供がノイローゼにもならないで、なんとかまともに育ったとする。

今日まともな大人だからといって、それは二十年にわたる親の苦労があってそう育ったのである。
二十年にわたる親の愛情の結果が、今日のその人なのである。
ノイローゼになっている人は今日問題があったのではなく、今日までの生活に問題があったのである。

親の愛情不足、その人が生きた社会での価値観、長年にわたる本人の
生き方の姿勢などたくさんのことが問題で、ノイローゼになっているのである。

いきなり原因もなくノイローゼになるわけでもなく、原因もなく心理的におかしくなるわけでもない。
運がいい人は運がよくなるように毎日を生きている。小さなことをきちんとしながら生きている。
それだけのことである。

得しよう得しようとして日々の生活をおろそかにしている人は、不運な人になるしかない。
運とか不運とかいうのは、それくらい当たり前のことである。