控えめというのはただのケチなのかもしれない
人はどうしても表面の行動で他人を判断しがちである。
特に神経症的な人はそうである。
従って、素直に自分の願いを表現する人をあつかましい、などと
つい思ってしがちである。
ところが、逆に控えめな人と思われる人は心に問題がある場合もある。
或る控えめな人間と思われている男性は、親しい人々からの贈り物を
拒んでいた。そして皆との楽しい一時からも自分を遠ざけていた。
彼が贈り物を拒むのは、何かお返しを要求されることを恐れていたからなのである。
周囲の人々は、彼がこのような理由から贈り物を拒んでいるとは考えてもみなかった。
彼は控えめなのではなく吝嗇であるにすぎない。
贈り物は素直に受け、他人の好意にどっぷりとつかり、楽しい一時への誘いには
喜んで出かけていく。
そんな人の方が控えめに見える人より心の中ははるかに謙虚である場合が多い。
軽々しく誘いに応じると安く見られるから断るなどという人の方がはるかに
心が歪んでいる。
自己実現している人は、他人から軽々しく思われることを、神経症的な人のように
恐れない。
自己実現している人は、自分のしたいことをなるべくしようとし、
同時に相手のしたいことにはできる限り協力しようとする。
完全に自分と相手の願いが一致するわけではないから、そこで現実的な妥協をする。
妥協という言葉は悪いが、柔軟性がある、ということである。
自己実現している人は、素直に自分のしたいことをしようとするので、
こちらも、ふとその気になるということがある。
素直な人といる時の方が、こちらも素直になれる。