同じ状況にあっては、最後に行った同じ行動を繰り返し易い

小さい頃から自分の要求を無視されて育った人は、自分は相手に何かを
要求する資格はないと感じる。

だからこそ、神経症的人間関係に苦しめられて生きた人は、
何をおいてもその人間関係から自分を引き離すことが重要なのである。
どんな犠牲を払ってもこの関係を打破しなければならない。

神経症的人間関係を解消しようとする時、
「自分はこの関係を解消することで失うものは何もない」と言い聞かせることである。exclamation

自己実現している人間と関係した時、はじめてそれまでの関係がいかに歪んでいたかが分かる。
自己実現している人間との関係においては、あなたは一方的に相手に奉仕する必要がない。

あなたは彼の要求を叶え、彼はあなたの要求を叶える。
それまではできなかった自分の要求ができた時、何か心の中で自分が強くなったように
感じるものである。グッド(上向き矢印)

あなたは心の交流を求める人と対等の関係をもたねばならない。
あなたは奴隷的な奉仕によって、他人の愛情を求めてはならない。手(パー)

あなたの心を病ませる恐ろしい習慣のかたまりを放棄するために、
自己実現している人々と一緒にいなければならない。

そして、こうして欲しいというあなたの願いや要求をまともに聞いてもらった時、
それまでに感じたことのない力強さを心の中に感じるに違いない。

それは奴隷的な立場で愛され、注目されることの喜びとは全く異質の何か確かなものである。
奴隷の立場で周囲に献身し、そして誉められた時に味わう依存的喜びと違って、
何か確かなものが心の中に感じられるのである。晴れ

自分はこうして生きていかれるとでも言ったらいいような確かなもの、
頼りになるものが心の中で育ってくるのを感じる。わーい(嬉しい顔)

人に取り入ろうとする動機に支配されて行動し、そして神経症的な人間に気に入られても、
やはり自分にとって自分は、何とも頼りない。

ところが、私はこうして欲しい、ということをはっきり言って、それが嘲笑されたり、
無視されたりすることなくまともに対応された時、頼りがいのある何かが心の中に芽生えてくる。

自分が自分を頼りにして生きていかれるということが分かる何かが生まれてくる。
おそらくそれが自我の確立ということなのだろう。