不安な人の今日一日
今日一日が今日一日のためにあったとしても十分それで満足できる。
それが不安なき者の今日一日であろう。
不安な者は、今日一日が今日一日のためにのみあったとしたら、
夜になって憔悴してしまう。
内面の焦りに、今日一日の虚しさと後悔が加わり、じっとしていられない。
不安な者にとって満足のいく一日とは、今日一日が明日のためにあり、
自分の不安を解消するために有効な一日であることである。
内面の不安を解消するとは、富の蓄積や名声の増大などのために
プラスになった、ということである。
それが錯覚にすぎないとしても、不安を鎮めるには、それが一時的に効くものであろう。
痛みを止める麻薬のようなものである。
麻薬を使えば痛みは止まる。しかし、だからといって痛みの原因が取り除かれたわけではない。
麻薬が切れれば、痛みはまた始まる。
不安な者にとって満足のいく一日があったとしても、その一日で不安の原因が
取り除かれて、明日から安心した日々が始まるというわけではない。
明日になれば麻薬は切れている。明日は再び不安な一日としてスタートする。
明日が満足のいくものであるためには、やはり眼に見える実績を再び必要とする。
不安な人間にとって、最も強い感情は不安である。
全ては不安が取り除かれてから始まる。
日々の生活を楽しむ、音楽を楽しむ、それは不安が解消されてはじめて
可能なことなのである。
今日一日が今日一日のためにのみ満足できる、美しい音が美しい音としてのみあって
意味をもつ、それは不安なき人間のみ可能なことである。
不安な者にとって消耗と悔恨で終る一日でも、不安のない人間にとっては、
その同じ一日が深い満足をもたらしてくれる一日となる。
不安な者にとっては、自分の不安を一時的に止めてくれる眼に見える実績のない一日は、
ただ消耗したというだけなのである。