自分の本性を否定する生き方

その人にあった生活というのがある。
それを意識できるかできないかが、その人の一生の不満の量に大きな影響を及ぼす。
自分の本性にあってない生き方をすれば、どんなに恵まれた生活をしても心の底は不満のかたまりである。

たとえば家庭的でない人がいる。男性でも、女性でもどちらでもいい。
そんな人がどんなに家庭的に恵まれていても、幸せではない。もちろん不幸ではない。
ただ本人は何かいつも不満である。

本人自身、自分がなぜそんなに不満なのか理解できない。
自分はこんなに恵まれている。不満なはずはないと考える。

しかしなぜかおもしろくない。元気が出ない。気が晴れない。心が重い。ようするに快活になれない。

なんとなく恨みがましい。べつに誰に恨みをもつ筋合もあい。
むしろ皆に感謝していい生活である。

しかし心の底には周囲の人になんとなく不快感がある。生活を楽しめない。なにをしても楽しくない。

そんな人は本性が抑えられているのである。
具体的になにが自分のしたいことを妨害しているかという問題ではない。

生き方、生活そのものがその人の本性を抑えているのである。
自分の本性を抑えているから誰ともふれあえない。

自分の本性を抑えている人はまた孤独な人でもある。そしてこの孤独がさまざまな心の問題の原因である。

嫉妬、妬みなども基本的には孤独な人が苦しむ心の現象であろう。
そして、そういう人は相手を束縛しようとするから、相手は息苦しくなってその人から逃げていく。

そして本性を抑えるから怒りが生じる。この怒りを抑えているから、素直に人と接することができない。
さびしいから人と接していたい。しかし心の底の抑え込まれた怒りが、素直に人と接することを妨害する。

そこで人と接したいけど接したくないという複雑な気持ちになる。
そこで不愉快な顔をしながら人と接することになる。

一緒にいたくないけど、義務だから一緒にいるという態度になったりする。
あるいは、あなたのために一緒にいるという恩着せがましい態度になる。

こんな人がみんなから好かれるわけがない。淋しい人は嫌われるよう嫌われるように行動してしまう。
自分の本性を否定する生き方をすると、何もかもが悪循環をしていく。