相手に愛情をもつのは、もつ人間の愛の能力による
幼い頃、何かに失敗、失望されて自尊心が傷ついた、あるいは、迷惑顔で世話されて身の縮む
思いをした、親の不機嫌に責められてどうしていいか分からなかった、
このような数々の体験の積み重ねによって、どの人はだんだんと、自分は他人に愛されるだけの
価値にない人間である、他人は自分と喜んで付き合ってくれない、何をやってもうまくいかない、
自分はダメな人間だと心の底で感じるようになる。
かといって、自分はダメな人間なんだと居直ることも許されない。
親が許さない以上、怖くて自分はダメな人間なんだとは言えない。
ダメな人間として扱われながら、ダメな人間だと自ら感じることを禁止される。
そこで、ダメな人間という自分についての感じ方を意志の力で無意識へと追いやる。
無意識の領域で、誰も自分を喜んで愛してはくれない、自分は他人から喜んで愛される
価値のない人間だと感じている。
その無意識における低い自己評価が、高い要求水準となってあらわれる。
彼は心の底にある低い自己評価を、他人から高く評価してもらうことで、
何とか回復しようとあがいているのである。
しかし、心の底にこびりついている低い自己評価というのは、はたして正しいのだろうか。
決して正しくはない。
確かに、その人は幼い頃から喜んで愛されることはなかった。
しかし、それは、その人に愛される価値がなかったからではない。
周囲の人に愛する能力が欠如していたからである。
心の底にこびりついている低い自己評価は、周囲の人にその人を愛する能力が欠如したことから
生まれてきたものである。負い目に苦しむ者は、そのことをはっきりと自覚しなければならない。