自分の心の中の葛藤を解決しようとしている

自分で自分のことを凄いと勝手に思っているような人がいる。
実際に凄いわけでもなければ、何らかの実績をあげたわけでもない。

ところが、やることなすこともったいぶって格好つけている。
とにかく自分は凄いと思っている。

座るということでも、単純に座っているのではない。
俺はすごいんだぞ、ということが伝わってくるように座っている。

彼は想像の中では凄いのである。何もしていないのだけれど、自分は「ただの男じゃないぞ」
「ただの女ではないわよ」と思っているようだし、そういうことをこちらに強制してくるような
ところがある。

彼等は理想の自我像を持っているのだろう。しかし、残念ながら現実の世界では、
そのような自分ではない。

ところが、少しずつ無意識のうちに、自分の理想の自我像を自分と思い込みはじめる。
何でもない自分の体験を、もの凄い体験であるかの如く解釈して、自分は大物だと想像していく。

当たり前の体験をもの凄い体験に解釈していく。
そして、そのようなことの積み重ねの中で、自分は大物になっていく。

大物という自分の理想化されたイメージに、自分自身がだまされている。
神経症者の中には、このように現実を自分の心の葛藤にとって都合いいように想像で
つくり変えて認識する人がいる。

現実を現実として見ているのではなく、自分の心の葛藤を解決するのに都合いいように
想像の中でつくり変えて見ているのである。