探したいけど、探せない
ちょっと元気が出ると「さあ、やるぞ」と言いながら、具体的に何をやっていいかが分からない人がいる。
具体的で適切な目的を持っていないということである。言ってしまえば、不幸を受け入れられない人である。
「さあ、やるぞ」という言葉が、自分のできることを「さあ、やるぞ」ということではない。
この人は、自分のできることをすることで、満足できない。
自分のできることをすることに、生きがいを感じられない。
しようとすることは常に非現実的なほど高い期待である。
だから「さあ、やるぞ」という意欲が、現実には空回りする。
この人は「やっていることに興味があるか?」と自分に問いかける。
「さあ、やるぞ」という意欲があっても、自己執着が強いから、周囲の世界に興味と関心がない。
この人は「俺は今からでもいい、遅くはない。何が一番面白いか本気で考えよう」とする。
しかし何が一番面白いかが分からない。それは、自分の心が抱えている問題を考えないからである。
自分の無意識にあるものを、意識しようとしないからである。
その結果、自分が小さい頃から安らぎがなかったことに気がつかない。
「何が一番面白いか」分からないのには、原因がある。
それは、この人が小さい頃から劣等感だけで動いていたからである。
劣等感以外の自分の素直な感情で動いたことがない。
劣等感があまりにも激しいので、素直な感情が摩滅してしまっている。
だから「何が一番面白いか」、分からない。
劣等感が圧倒的で、他の感情は発育の余地がなかった。
この人は人間としての素直な感情がないから、生きる目的を探そうにも、探せない。
いくら探しても探せない。
見つかりそうにはなるけれども、どうしても見つからない。探したいけど、探せない。