家族で幸せになろうとすると、家族への要求が大きくなる

自分が幸せでない人が母親になる。父親になる。そして家族のために努力する。
しかし子供は問題を起こす。父親も母親も「何でなんだ」と叫びたい。
「こんなに努力しているのに」と叫びたい。

そして、ますます親子関係はうまくいかなくなる。
息子も娘も登校拒否になる、引きこもる、非行に走る、無気力になる、
家庭内暴力になるなどの問題を次々起こす。

親は何でこうなってしまうのか分からない。自分がこれほどまでに努力しているのにと思う。

息子や娘の言動がますます許せない。親は自分の努力がきつければきついほど、子供の態度が許せない。
子供は、ますます心の病を進行させる。そして最後には、善意で努力家の親がいる家族が破綻する。

親が気がついていないことは、ただの一点だったのである。
自分が幸せでなければ、人のためになることはできないという真理である。

自分が幸せでない人は、自分が人にどういう気持ちを与えるかということが分かっていないのである。
自分が幸せでない親が家族で幸せになろうとすると、家族への要求が大きくなる。
例えば、子供に努力してもらいたい。

その時に、人は努力すべきであるという規範を持ち出す。
そうした文化的基盤の上に立って自分の要求を通そうとする。

自分が幸せな人は、自然と人の世話をする気持ちになる。
理屈はいらない。世話が恩着せがましくない。そこで相手は感謝する。

まず、自分が生きることを楽しいと感じるような人間になることである。
そして愛する能力をもつことである。それが全ての土台である。