話そうとしたけど話せなかった
淋しい人は、ときにそれがわかっていても、ずるい人にいい顔をするのがやめられない。
人間関係依存症である。
全部取られても、いい顔をするのがやめられない。
ときにはそうした状態にいることにすら気がつかない。
リスクを覚悟して毅然とした態度に出れば、相手は襟を正してくれることもある。
しかし、うつ病になるような人は、リスクをとれないから、そうした毅然とした態度ができない。
うつ病になるような人は、どこへ行っても安住の場所がない。
ないと思っている。本当はあるのである。
しかし、自らずるい人のところへ行ってしまう。だから安住の場所がない。
見捨てられる恐怖は、幼児期のトラウマになる。とにかく一人が怖い。
このトラウマになった出来事を意識に乗せて、乗り越えることである。
見捨てるという脅しに怯えて、必死になって迎合していたときの、
心の苦しみ、悲しみ、怒りをしっかりと意識に乗せる。
そのときに流せなかった涙を今流す。
それはものすごい事件のことばかりを言っているわけではない。
日常の小さな出来事でも悔しい思いをしている。
「このあいだ話したじゃない。そんな大したことじゃないよ」と言われると黙ってしまう。
「あなたが怪我をしたのはしょうがないわ、あなたが悪いのよ」と言われると、もう何も言えなくなる。
話を聞いたということと、自分は納得したということは違う。
話そうとしたけれど話せなかったのである。
母親との関係なら「僕はあのときに納得しなかったんだよ」と言えばいい。しかし言えない。
そういう子供は、いつも母親にイライラする。
母親のほうはナルシスト。相手が納得したかどうかなど見ていない。
子供の自我の基盤が脆弱。子供はナルシストの母親に圧倒されている。