嫌いだけれど仲の良い関係

ある執着性格の男性が、ある女性と会うと緊張すると言う。なぜ緊張するのか。
まずその男性には、心の中に敵意がある。そしてこの男性は、その女性を好きではない。

そして嫌いであるが嫌いと意識していない。嫌いであるが認めてもらいたい。
緊張するならば会わなければいい。でも会う。嫌いな女性にも「素敵!」と好かれたい。

まさに対象無差別に愛を求めている。
嫌いな人に会うのは、嫌いな人にも認めてもらいたいからである。
嫌いな人からも愛されたいからである。

その男性には好き嫌いがない。
そう言うと「いや、好き嫌いはある」と言う。

しかしその好き嫌いは、
認めれれれば「好き」、認められなければ「嫌い」ということである。

相手自身を好きとか嫌いとかいうのではない。
自分が認められるか、認められないかというだけの話である。

こうした嫌いだけれでも仲の良い関係というのが人を疲れさせる。
親しくなれないのは嫌いだけれども仲の良い関係だからである。

誰にでも認められたい人は、嫌いだけれども仲の良い関係を周りじゅうに作る。
好き嫌いがないというのは、別の表現をすれば、
誰もかれもみな嫌いということである。

執着性格者には、本当の意味で好き嫌いがない。
嫌いなら会わなければいい。
誰にでも好かれようと思うから、誰に会っても緊張する。

好き嫌いがないということは、問題が起きるということである。
会わなければいいものを無理して会うからトラブルが起きる。