すべての仕事はすませるだけの仕事
燃え尽きるような人間、背伸びする人間、内的に強制された人間は仕事に対する面白さ、
やりがいなどということより、その仕事に与えられている威信を求める。
その仕事をやるために、例えば何らかの会議が開かれる。
内的に強制された者にとってその会議に出ることは自分の威信を高めるものであれば、
そこに座っていることに満足はする。
しかし、あくまでも満足であって、その会議自体が彼にとって興味あるものではない。
その会議の議題に関心を持ち、夢中で議論に参加するなどない。
その目的のために、出席している会議がどういう役割をもっているかを理解し、
その仕事の目的のためにその会議がどうなることが望ましく、自分としてはどうしたいか
などという気持ちを何ら持っていない。
したがって、会議の内容は彼にとってつまらない。しかし、彼はその会議に出ている時、
会議に出ている自分を見ていて満足している。
大きな椅子に座っている自分に満足しているが、決してその会議のテーマを追い求めてはいない。
もし、その会議で何ら難しい立場に立たず、ただ出席していればいいというだけであれば、
彼にとってはこの上ない喜びとなる。
彼にとってやりたい仕事などないのであるから、彼の関心はその仕事が自分にどのような威信を
与えるかということだけに集中している。
したがって、全ての仕事は「すませてしまう」だけの仕事である。
そして済んでしまえば、ホッとするだけの仕事である。
会議が終わればやっと済んだと思うだけであって、そこで議論されたことなど彼には関係ない。
会議は「済ませる」ためのもので、そこで議論することに興味津々などということは決してない。
会議が終わると、彼は疲れを感じるだろう。