心が病んでる親にとって子供は他人である

親にとって、子供はどんな子供でも可愛いと、人は言う。
この言葉は心理的に健康な親には当てはまるが、心理的に問題を抱えている親には当てはまらない。
心の満足している親には当てはまるが、満足していない親には当てはまらない。

心理的に問題を抱えている親にとっては、自分の都合のいい子供と、そうでない子供とがいる。
心理的に問題を抱えている親にとっては子供は他人なのである。
憎らしい他人がいるように、憎らしい子供がいる。

親の自慢話を聞いてあげる子供がいた。
その子は親の幼児的願望を満たしてあげる代理親になった。

親はその子に様々な要求をするようになった。他の子供は逃げてしまう。
親はその子に特別な要求を始める。そうしてその家族は維持された。
そしてやがて親は、その子が自分の幼児的願望を満たさないと不満になった。

すると家族の皆は、その子がそうして無理をしているのを当然だと思い始めた。
親を中心として、その家族はその子のやさしさにおぶさってくる。

形式的に家を背負っているのは親だけれども、実質的にその家を背負っているのは
そのやさしい子である。それがうつ病者を生み出す家族の構造である。

家族の者が騒ぐのを抑えているのはそのやさしい子供である。
そして両親は、そのやさしい子供さえ抑えておけば、自分たちの「家庭」が家庭になると
いうことが分かっている。だからそのやさしい子供は両親から特別の拘束を受ける。