直接的な愛情と間接的な愛情
子供の野球の練習を母親が見に来る。その子を応援する。
そしてその子がヒットでも打つと手をたたいて喜ぶ。
そして練習が終って帰る時にはその子のバッグを持ってあげる。
しかしその母親は子供にインスタントの食事をさせている。
練習が終ってバッグを持ってあげて一緒に帰るというのが
直接的に表現されている愛情である。
それに対して、その子の好きな料理を作るためにその子のいないところで
時間とエネルギーを費やすのが間接的に表現される愛情ということであろう。
どのような料理を子供が喜んで食べるかを知っている母親でなければ、
そのような愛情表現はできない。
直接的に表現する母親は、自分の作った料理をおいしそうに食べなければ怒る。
子供がおいしそうに食べる料理を精魂込めるのではなく、自分の作ったものを
おいしそうに食べることを子供に要求する。
あの子は運動して帰って来た時、何を飲みたがるか、どこでゴロンと
横になるのか、それらのことを知っている母親が、子供が野球の練習から
帰ってくるのを待てる母親であろう。
インスタントの料理を食べさせて、バッグを持ってあげる母親は、
自分の感情を子供に押しつけて愛情と思っているだけである。
そのことにさからわずべっとりとした母子関係を続けるのが共生関係ということである。
子供と共生関係にある母親に限って、夏の暑い日に野球の練習をする
子供の帽子が破れているのに気がつかなかったりするものである。
共生関係でなく思いやりのある母親は、バッグを持って一緒に帰らなくても、
子供のバッグやユニホームにはいつも注意しているものであり、
子供はどのようなものを必要としているか分かっている。