心理的に成長するからこそ苦しさをともなう
長男が無口だと悩んでいる親がいる。辛くていられないと言う。
親は自分が拒否されたと思うからである。
長男の無口を自分が長男に拒否されたと解釈するからである。
長男は成長しようという欲求とまだ子供のままでいたいという欲求の
葛藤で苦しんでいる。
長男は今必死で成長しようともがいている。成長には混乱が伴う。
そう思えて親は気持ちが変わった。
長男の、人間としての成長を優しく見守ることができるようになった。
むしろそれは辛いけれど喜びにもなった。
ものごとの認識の仕方でストレスは違ってくる。
ある病んでいる娘の例である。
親は娘が自分の意志で何かをしようとする努力、自立性への表現を、
すべて親に対する拒否と受け取る。
このようにしか解釈できなければ、娘にとっても親にとっても生きることは辛い。
娘の自分の意志で何かをしようとする努力を成長の過程と
解釈することで救われる。
ここには、辛い気持ちに苦しまなければならない客観的事実は何もない。
事実に苦しんでいるのではなく、事実に対する解釈で苦しんでいるにすぎない。
その上その解釈が唯一の解釈としか考えられない人々である。
自分の解釈は間違っているということに気がつけば、事実は変わらなくても気持ちは変わる。
事実はどうでもよいというわけではないが、私達は解釈の重要さを忘れている。