恋人とのデートは楽しいに越したことはない
事実に対する自分の解釈が自分を不快にしている場合には、
自分の解釈を変える努力をしてみるべきである。
心の持ち方で悩みや苦しみが変わることがある。
あるとき、恋人が怒る。
その人は罪悪感を抱き、恋人といても何とも居心地が悪い。
あるいは電話で喧嘩をした。お互いにやり合ってしまった。
すると次のデートは気が重い。会いたい気持ちが
ないわけではないが、やはり会いたくない。
しかし考えてみれば、恋愛のような非合理的な感情が
主役の関係で喧嘩がないという方がおかしい。
喧嘩をしないに越したことはないが、
やはり喧嘩をすることは当たり前である。
恋人とのデートは楽しいに越したことはない。
誰もが楽しいことを求めるし、楽しいことを期待する。
でも現実には楽しいデートでないときもある。
喧嘩をするときもある。
そういうときには、喧嘩を全て含めて、「彼女と会えたということは
良かった。健康で会えた。それは良かった」と思うのがノーマルである。
そこにさらに楽しさまで要求しない。それは考えない。
これから仲直りの仕方を考えようと思う。
恋愛といえども現実はその程度。
ケーキは美味しい。デートは楽しい。
人生をそれと同じに考えてしまう。
結婚式と言えば、笑顔。お葬式では涙。
漫才には笑う。
そうしたカテゴリーで物事を考える。
そのカテゴリーで考えるから、喧嘩をすると、何かとんでもない
ことが起きているような気がする。
カテゴリーで考えるから、健康で会えたという幸せを忘れる。
その幸せを忘れることで悩みが生まれる。
悩みは「何でも欲しい」と思うから生まれてくる。