心は自分とだけ向き合っている
あるナルシストの母親。
子供には全く関心がない。年をとって子供のことはすべて忘れてしまった。
子供について、小さい頃のことを聞いても全て忘れている。
子供が食べ物で何を好きだったかなどというのは全く記憶の片隅にもない。
忘れるというよりも、はじめから知らないと言ったほうがいいのかもしれない。
子供との心の交流がないから、一切のことは記憶にないのである。
しかし、義父のことは小さなことまでよく覚えている。
義父が自分に何を話しかけたかなど、細かいことまでよく覚えている。
それは、義父が社会的に偉い人だったからである。
なぜ、この母親が義父のことを覚えているかというと、
義父が自分の威信を高めてくれるからである。
彼女は義父に関心があるわけではない。
自分の威信を高めるということに関心があるだけである。
また、夫のことを忘れても、夫の姉妹兄弟のことは覚えている。
そうした人々と何をしたかは覚えている。皆、社会的に偉い人なのである。
ところが、自分の子供のことは何を聞いても覚えていない。
食事をしたことも、勉強している姿も、子供のことは一切記憶から消えている。
おそらく、子供が煩わしかったに違いない。
この母親は、子供の入学式で子供がほめられて、
「お母さんは前に出てください」と言われるようなことがあれば、
その子供の入学式は覚えているのだろう。
子供のことは全て忘れているが、自分が会った偉い人の名前は覚えているのである。
子供とどういう話をしたかは忘れているが、偉い人が自分に話しかけた
内容は覚えている。
つまり、このナルシストの母親は、自分の子供と話していても、子供の話は
都会の騒音と同じなのである。都会の騒音を覚えている人がいるだろうか。
覚えていない。
この母親は、自分の家が名門でないのに名門の家にお嫁に来たのである。
それが彼女は嬉しかった。夫のところにお嫁に来たわけではない。
つまり、ナルシストが相手の話を聞いていても聞いていないとは
こういうことである。相手の話に全く関心がないのである。
それは騒音のように左の耳から入って右の耳から抜けていく。
聞いてはいるけれど、興味がないから記憶にとどまらない。
体は子供と向き合っていても、心は自分とだけ向き合っている。
体は夫と向き合っていても、心は自分とだけ向き合っている。