自分を「ただの人」であるということを受け入れられない

神経症者は自分を実際以上に見せようとする。
また自分を実際の自分以上に思い込むこともある。

理想の自分を実際の自分と思い、その理想の自我像に従って、
自分を扱うように周囲に要求する。

そして要求通りに他人が自分を扱わないと怒る。
実力がないのに、周囲の人に力のある人間のように扱えと言っても無理である。

あるビジネスマンがしきりに会社の人間をけなしていた。
会議で自分の言うことを「ハイ分かりました」と他の人が聞かないと怒っている。

皆は自分の言うことにもっと敬意を払うべきだ。
それをしない他の人が許せないという怒りから、夜も眠れないという。

会社の人が彼のことをあまり尊敬していないのは、ある意味で仕方がないことである。
もし、彼が本当に会社のどうしようもない人達とは一緒に働きたくないと思えば、
他の会社に行くしかないだろう。

大物の雰囲気がそこはかとなく漂っていれば、周囲の人はその大物の
雰囲気のある人の言うことを思わず聞いてしまうだろう。

しかし、どう見ても大物に見えないビジネスマンの言うことを、
皆が「ハイそうですか」とは聞かない。

貫禄がないのに貫禄のある人間として「私を丁重に扱え」と言っても無理である。
神経症的要求をもっている人は、このような無理な要求をする。

そしてその無理な要求が通らないと怒る。
人にはそれぞれ器というものがある。

周囲の人はその人の実際の器の大きさに従って、その人を扱う。
神経症的要求というのは、その人の器よりも大きな器として
「私を丁重に扱え」と言うのである。

神経症者は、自分を「ただの人」であるということを受け入れられない。
なぜなら、そうすることで、自分が抱える心の傷から目を背けることが
できなくなるからである。

しかし、世間は彼をただの人として扱う。だから許せない。
そして「世の中が間違っている」と怒っている。