隠された依存

社会的に活躍している女性、そしてそれを自分も素晴らしいと
思っている女性が、どうしてか男性との関係がうまくいかない。

彼女は自分のキャリアを発展させるためには自立、独立が
必要だと考えている。

しかしキャリアウーマンだとて女性は女性である。
彼女にとっても仕事はストレスに満ちているし、
自立して誰にも頼らず生きていかなければならないということは
大変なプレッシャーでもある。

女も男に頼ってはいけない、女も自立して生きてこそはじめて
自分の人生を生きることができる。

女も弱い女であってはならない。
このような考え方は受け入れられやすい。

なぜならそれは正しいことだからである。
しかしそれには条件がある。

それは甘えの欲求を満たされた女にとって、そのように生きることが
望ましいという条件である。

ある女性役員。彼女は仕事においては成功している。
ある男性と結婚する。

ところが彼女は結婚するとすぐに仕事を辞める空想を抱き始める。
その空想をふけることは楽しい。それをしつこく追い求めることになる。

彼女は夫に保護されて、母親として妻として生きることを考えるようになる。
彼女は自分が仕事に疲れていることに気づく。

責任に疲れていることに気づく。
来る日も来る日も仕事を遂行していくプレッシャーに疲れている自分を
彼女は発見する。

夫は彼女が仕事を続けることを望んでいる。
おそらく夫にとっては仕事をしない彼女なんて考えられないのであろう。

仕事を辞める空想を続ける彼女を知り、夫は怒る。
夫にとっては女性役員として活躍する彼女の中に依存の願望があることは
想像できなかったのであろう。

大人になって依存的であることはよくない。
しかし、それはよく読みちがえられる。

大人になって依存的であることがよくないということは、
大人になる前に依存の欲求を満たしておくことが望ましいという意味なのである。

大人になって依存的でないのは、男にとっても女にとっても最高である。
しかし事実その人の中に依存の欲求があるなら、自分には依存の欲求が
あるということを自覚することが必要である。

最悪なのは依存の欲求があるにもかかわらず、あたかも自分には
ないかの如く振舞うことである。

事実立派でないものが立派であるかの如く振舞うのは、
本人にとっても周囲にとっても破壊的なことである。

そういう人間の周囲にはいさかいがたえない。