誰でも煩わしいことから逃げたいものである
目の前に自分を騙した人がいる。目の前に加害者がいる。
そんなとき誰でも冷静さを失う。悔しくて心が動揺する。
怒りではらわたが煮え返る。怒り心頭に発して気がおかしくなりそうになる。
そんな時に必死で冷静になることを努め、その人に心を奪われないようにする。
それが修行である。
修行とは何も山にこもって座禅を組むことだけではない。
怒っているということは、その時点であなたは相手と関わってしまっている。
そうではなく、心を断ち切るということは相手に無関心になることである。
人は、たとえ社長になっても、自我の確立がなければ心は不安定なままである。
社長になったからといってずるい人達と関わらなくてすむというわけではない。
参謀が裏切ることだってある。
ただ、なぜ騙されたのか、その「なぜ」としっかり向き合うことで、
相手がよく見えてくる。
社長になれば色々な人が寄ってくる。その中にはずるい人も多い。
その寄ってくる人から逃げていては相手は見えない。
人間関係は一生懸命に心を尽くさないと上手くいかない。
向き合う相手から相手のずるさが見えてくる。
その場その場で立場を変えるずるさが見えてくる。
自分がずるい人にとってカモだったことも見えてくる。
そうすれば周囲の人を断ち切ることができる。
騙される人が必ずしも人を見る能力がないのではない。
向き合わないで逃げてきたということもある。
誰でも煩わしいことから逃げたい。
現実と向き合うということは煩わしいことがたくさんある。
しかし向き合えば、誰でも相手が見えてくる。
だから騙された時には、今までのツケを払ったのだと思う。
そうすれば納得できる。