自分のやりたいことを実現するために情熱を注ぐ
自分の心と触れあうということが、自分は何がやりたいのか分かると
いうことでもある。
自分はこの人生で何がしたいのか分かっていない人は、自分と触れあっていない。
そして自分と触れあうということは、自分を限定していくことでもある。
自分がやりたいことは、あれではなくこれだ、自分が付き合いたい人は、
あの人ではなくてこの人だというように、自分を限定していくことでもある。
自分の出会う人すべての人から好かれようとする神経症者は、
自分と触れあっていないのであろう。
他人とも自分とも触れあっていない人というのは、四方が鏡の部屋の中に
いるようなものである。
鏡に自分がどう映っているかということにしか関心がないのである。
鏡に関心がある人というのは、鏡に関心があるわけではない。
鏡に自分が立派に映れば嬉しいし、自分がみすぼらしく映ればがっかりする。
鏡に映る自分を格好よくしようと努力はするが、一体自分は何をしたいのか
ということには関心が向かない。
自分そのものに関心があるのではなく、鏡に映る自分の姿に関心が
あるにすぎない。
自分を愛する人というのは、実際の自分に触れるし、自分のやりたいことを
発見し、自分のやりたいことを実現するために情熱を注ぐ。
鏡に映った自分にばかり気をとられている人は、自分が何が好きか分からない。
自分は何が好きかということより、自分が鏡にどう映っているかということばかり
気をとられているからである。
他人に、自分が格好よく映っているか、みっともなく映っているかと
いうことばかりに気をとらえている人は、逆に他人の自分に対する態度に一喜一憂することになる。