自分で自分を演じてしまう
甘えの欲求が満たされないまま抑圧してしまった人は、
また同時に敵意も抑圧することになる。
甘えの欲求は、相手が自分に対してこういうように接して欲しいという欲求である。
自分の願望を理解して、そのように自分を扱って欲しいということである。
自分の満足が、他人の自分に対する態度に依存している。
自分の満足が、他人の自分に対する態度に依存していれば、当然不満になることも多い。
自分の求めているように他人が自分を扱ってくれなければ、そのたびに
不満になるからである。
それに対して心理的に成長した者は自分の満足が、他人の自分に対する
態度から独立しているだけに、不満になることも少ない。
甘えを抑圧した者は、自分には甘えの欲求などないかのごとく振る舞う。
他人からチヤホヤされていつも注目を浴びる存在でいたいとか、
無限に自分を受け入れて欲しいとかいう欲求などないかのごとく振る舞う。
つまり自分の心の底にある欲求とは反対に振る舞う。
そのように社会的に望ましい人間として振る舞うことによって、
人々からそのような人間として受け入れられる。
そうした点で確かに一体化願望の代償的満足は得られる。
しかしそれは心の底にある実際の自分の満足ではない。
他人に受け入れられたのは、実際の自分ではなく、
他人に受け入れられるようにつくった自分である。
受け入れられる人間を演じているだけであって、実際の自分は違っている。
したがって、社会的に望ましい人間として振る舞うことで周囲の人々に
受け入れられるには受け入れられるが、心の底からの満足はない。
実際の自分が相手から受け入れられるなら人は本当に満足する。
その人は自分でない自分を演じる必要はない。
その人間関係はその人にとって安らぎとなる。
そうすればその人はすべての人から認められよう、評価されようなどとは
しないであろう。
しかし実際の自分が受け入れられたのではなく、意識的につくった自分が
受け入れられている限り本当の満足はないから、どうしても会う人すべてから
認められようとしてしまう。