勇気のある人と卑怯な人との識別もできない
自分が心の底で感じていることを意識できないのは、
その心の底で感じていることが、自分が怖れている者にとって
好ましくない感情だからであろう。
自分が心の底で感じていることは、自分が怖れている者の期待に
そむいている。
自分が怖れている者がいる。
その人は、自分がこのように感じることを期待している。
しかし、心の底では自分はそう感じてはいない。
そんな時、人は自分の心の底の感じ方を、自分の意識から排除する。
そして、自分が怖れている人が自分に望んでいる感じ方をするように、
自分に強制する。
自分はAという人間を怖れている。Aという人間に心理的に依存している。
Aという人間の好意を必然的に必要としている。
Aは自分に「Aは勇敢で強く心温かい人間である」と感じることを望んでいる。
しかし、自分は心の底では、Aがズルくて、卑怯で、弱いと感じている。
だが、それはAの望みに逆らうから、この感じ方を抑圧する。
このようにして育ち、このように感じていたら、どうなるか。
成長して、他人の勇気とズルさを識別できるであろうか。
抑圧が強いと、そのような感じ方そのものが鈍くなっている。
勇気のある人と卑怯な人との識別もできない。
心の冷たい利己主義者と心の温かい人も識別できない。
これで他人と心の交流ができるはずがない。
親しい人をつくりたければ、心の底にある感じ方を解放することである。
自分にウソをつく人間は、親しい友達はできない。