自分の本性にあった生き方
何をやるにも障害はある。障害のないものなど何もない。
もし何かやろうとして障害にあたって出来ないというなら
その人は何をやってもやり遂げられない。
条件がそろってから始めようなどという人は、何も始められない。
何かをやろうとするなら、そのどこかで無理をしなければならない。
どんな小さな事にでも必ず不可能と思われることが待っている。
犯罪者が立ち直ろうとする。しかし、もう会社は雇ってくれない。
雇ってくれてもバレれば辞めさせられたり、周囲から冷たい目で
見られたりして何かにつけて疑われる。
誰も友人にさえなってくれない。しかし、犯罪者が立ち直るためには
友人が必要だろうし、世間の温かい目も必要である。
人から信用されるためには、人と約束を守り、明るい性格でなければならない。
しかし、他人との約束を守る気になるのは、人から信頼されるからであり、
明るい性格になれるのも、人から信頼されるからである。
小さな小さな人間関係から、大事業にいたるまで、その過程には理屈の
上からいけば不可能は必ずある。
そこにぶつかった時、ただ情熱と忍耐とで乗り越えるか、できないと
やめてしまうか、どちらかである。
もう一つ考えなければならないのは、自分はいま自分にふさわしくない
生き方を選んでしまったのではないかということである。
親の間違った期待に添って生きようとしているとか、世間の間違った期待に
叶うように生きようとしているとか、根本の所で間違っていると困難には負ける。
自分の本性にあった目標に眼を据えていれば、困難には負けない。
困難に負けるのは自分が弱いからか、自分が間違っているからである。
自分の本性に反する道を歩く努力は死への努力でしかない。
自分はどんな人間かをよく考えること。その判断を間違えた人に、ただ困難に
立ち向かえと言っても、それはおろかということである。
何が何でも勤勉がいいとか、真面目がいいとかというものではない。
あくまでも本来の自分を生かしてこそ、それらが貴いのである。
ただ我慢強くしているだけでは、陰気になり死んでいくだけである。