「できないこと」と「できること」は判断する
頼まれごとに対して気合いを入れたり、気迫を持ってしまったりするのは、
ある種の価値観に縛られているからであろう。
「引き受けたのだから、いい仕事をしなければならない」と思うから
人は苦しくなっていく。
いま持っている力で頼まれたのだから、いまの力でやればいい。
いま以上の力でやってくれと頼まれたわけではないのだから。
つまり、力を抜いて、気を抜いて、適当に、良い加減にやっていくということである。
気合いを入れて生きるのは、もうやめよう。
人に分かってもらいたいとか、評価されたいと言って、眉間にしわを寄せて
頑張るよりも、「良い加減で」「適当に」ニコニコと頼まれた仕事をやっていくほうが、
はるかにおもしろい。
おもしろく仕事をやっている姿を人が見れば、
「あの人のそばにいると楽よね」ということで、まわりがなごむ。
「いかに喜ばれる存在になるか」イコ-ル「いかに頼まれごとをしていくか」だから、
気負わずに「はい、分かりました」とやっていくだけでよい。
頼まれたときは、引き受けられそうなものは受け、
気合いを入れないで、いまの力で適当にやる。
「適当」というのは、「適度」ということである。
うまくいくか、いかないかなんて自分が決めることではない。
自分が「未熟だ」と言って断っているとしたら、それは「傲慢」ではないだろうか。
頼まれごとは「ありがとうございます」と「謙虚」にやっていけばよい。
難しい頼みごとを持ちこまれるのは、「できないことでも何でも引き受けてやるぞ」と
いう気迫を放っているからではないだろうか。
人には、「できること」と「できないこと」がある。
「できないこと」を「できる」と言う必要はない。
頼まれごとがあったら、いま持っている力で「できること」をやればいい。
とても単純なことである。
何かを頼まれたとき、「私には力がないので、とてもできません」と言うのは「傲慢」
「ありがとうございます」とお礼を言って、自分のいまの力でやっていくことが「謙虚」