生き方の不自然さ
自分自身を表現することを恐れている人は多い。
そして、自らの喜びや悲しみを表現することを「はしたない」という形で
抑えていることが大変多い。
したがって、自分自身の感情を素直にそのまま表現することに対する
社会的抑制が強い。
どんな悲しい時でも泣かない人間を、「よくできた人」というふうに表現する。
「よくできている」とは耐え難きを耐えることである。
しかし、親しい人間を失った時、自分の悲しみをこらえることの方が、
かえっておかしいのではないだろうか。
泣いていいかどうかは、その時の状況判断である。
たしかに、悲しい時にも泣かずに冷静に事を処理できるのが理想である。
しかし、無理をしてそうすることは、かえってよくないのではないだろうか。
泣かないでいるほうが、耐え難きを耐えているようで格好いいから
泣かないという人もいるだろう。
そうした人が出てくるから感情的に無理があり、おかしくなる人もいるのである。
このような動機で耐えることは、決して前向きな態度ではない。
今、一時的に耐えていたほうが、評価が高まるから耐えているのである。
態度がどこか不自然な人は、何をするにも無理があるからである。
何をしてもリラックスしていないのである。
何をしても不必要なところに力が入っている。
必要なところに力が入るのはいいが、どうしても不必要なところに力の
入っている生き方なのである。