ずるい人はいつも弁解が多い

騙すことと苛めることは違う。騙されることと苛められることとは違う。
騙される人と苛められる人とも違う。騙す人と苛める人も違う。

しかし、もし人間を苛められる人と苛める人に分類するとすれば、
騙される人は苛められる側に分類される人であり、
騙す人は苛める側に分類される人だろう。exclamation

人を騙す人が支配的な人で、その人が不満を持った時に苛める人になるのであろう。
人に騙されるような人が、無気力になった時に苛められる人になるのであろう。

もちろん騙す、騙さないと同じように、苛める、苛められるは一人ではできない。
そういう人が出会って初めて起きることである。

人を騙すようなずるい人というのがいる。
苛める人というほどではないが、そういうずるい人とかかわり合うと、
もともと苛められる特性を持っている人は騙されて、損をする。ふらふら

うまく言葉で説明できないが、何となくずるくて軽いと感じる人がいる。
何となく信頼できないという人がいる。

彼らは、人当たりがいい。感じが良いと思える。
しかし何となく信じられないという人である。手(パー)

それが何故だかよく言葉では説明できない。
しかし人々がそう感じるということがある。

人々がそう感じるというのは、そういう内容の人間だからである。
何となくずるくて軽いという人の言動は、わざとらしい。ドコモポイント

わざとらしい人は、何事も逃げている。あるいはできないくせに簡単に引き受ける。
最初からやるつもりはないのである。その場、その場で心地よい返事、対応をする。

何となく信頼できないという人は、言葉だけで物事を片付けようとする。
言葉だけですませようとする安易さが、実際に責任を引き受けて仕事を
している人には見える。

だから真剣であれば真剣であるほど、都合の良い返事はかえって不誠実さを感じさせる。
ずるい人はなかなか行動に移らない。だからいつも弁解が多い。