心の病んだ者にとっては救いである

心の病んでしまった者は、幼い頃からあまりに多くを期待され、
あまりに過大な要求をされ、それを叶えようとして疲れた者であろう。

そして、絶えず評価されてきた者である。親は、絶えず他人を評価していた。
「あいつはたいしたことない」「あいつはバカだ」

子供は、のべつまくなしに、親が他人を評価するのを耳にして育つ。
そして、そのこわい評価は、同時に自分にも向けられていた。

絶えず評価されることに恐れ、疲れた者の心、要求されすぎ評価されすぎた者の心は病んでいく。
実は、そうして絶えず他人や子供を評価していた親自身が他人から評価されることを恐れていたのである。

他人の評価から自分を防衛するために、先制攻撃しているにすぎない。
他人をやたらに「あいつはたいしたことないね」などと評価するのは
自分が評価されるのを恐れているからである。

他人への評価はその人の自己防衛なのである。
つまり、評価されることを恐れて心が病んでしまった子供は、親の自己防衛の犠牲になったのである。

そうしたことを考えると、ただ黙ってそばにいてあげるということは心の病んだ者には救いであろう。
そばにいる人は、決して自分を評価したりはしない。そして自分を負担に感じていない。自分に何も要求しない。

今までは親に拒否されたら生きていけないと感じつつ、親の機嫌を損ねることを絶えず心配していた。

そんな人にとって、自分が黙っていようが、何か言おうが、
機嫌を損ねない人が、黙って何時間もそばにいてあげることは救いである。

そばにいる相手は、ある一定の感情を自分に押しつけてこない。しかし、自分を無視したりしない。

自分がそばにいても迷惑顔もしないし、迷惑とも感じていない。
自分の興味を口にしても馬鹿にされない。

そういう人がただ黙ってそばにいてくれるのは、心の病んだ者にとっては救いである。