世話をするような顔をしながら、世話されようとする
自分がどれだけ苦労したかということと、相手がどれだけ喜ぶかということとは、関係がない。
押しつけがましい人は、自分がどれだけ苦労したかということしか頭にない。
だから自分がこんなに苦労したのに、喜んでくれないという不満になる。
そういう意味では押しつけがましい人は同時に、自己中心的な人でもある。
このような人と一緒にいると、何か窮屈なのである。
何となく束縛されるような気持ちになる。
それは自分の自然な感情と関係なく、ある一定の感情を持つことを強要されるからである。
ある企画を立てて全員に賞賛されないと気がすまない人は、他人のために
働いているようではあるが、そのような人は形の違った保護を求めているにすぎない。
表面的には他人の世話をしているようではあるが、結局本質的には
他人に世話をしてもらっているにすぎない。
他人の世話をして他人に感謝されたいという欲求は、意識されなくても
その人の心の無意識の領域にある。
それは小さな子供の依存心より人を束縛する。小さな子供の依存心は複雑ではない。
ところが、このような隠された依存心は複雑である。
表面的には世話をする側が、世話されることを求めているからである。
世話をするような顔をしながら、世話をされようとする。
自己不信が感謝の要求となって表われる。
表面的には世話をしているのであるから、感謝をされてもいい。そこで当然、感謝を期待する。
ところが相手は、何となく感謝をする気持ちにならない。
そのことが、世話をしている人はおもしろくない。すると恩着せがましくなる。