偽りの連帯意識

親が子供を縛る言葉は色々とある。
例えば、「家では、家では」という言葉を、子供は無意識に嫌がる。

しかし、「私たち家族」というのは美徳である。
それは「家では、家では」という言葉の中には、「私たち家族」という
逃げることのできない美徳による束縛のメッセージが隠されているからである。

つまり、親は無意識にこの言葉で子供を束縛しようとしている。
こういう「家では、家では」という言葉を連発されて育った子供は、
通常は大人になれば早く家を出たいと思う。

しかし、なかなか家を出られない。
それは、その子供が心の底まで家族という偽りの連帯意識に束縛されているからである。

そして、自分が偽りの美徳に縛られているということすら意識できないことが多い。
そういう子供は、意識の上では親に感謝をし、無意識の世界では親を憎んでいる。

この意識と無意識の矛盾の中でノイローゼになる。
こうした子供は大人になって、外側がどんなに恵まれていても不幸である。

「家では」と同じことで、「あなたさえ幸せなら、お母さんはそれでいいの」という
言葉も子供を縛る目的である。

しかし、それに母親自身が気がついていない。無意識に子供を縛ろうとしているのである。
こういう言葉を言う母親は、強度の依存心の持ち主である。
しかし、この強度の依存心も無意識である。

つまり、親は意識の上では子供の幸せのために自己犠牲的に努力しているつもりである。
しかし無意識では、つまり実際には子供を縛りつけておこうとしている。

それだけに始末が悪い。
「あなたさえ幸せならお母さんはそれでいいの」と言う母親の子供は、心理的に成長することに躓く。
心理的に大人になれない。