世間は弱い人を犠牲にしてトラブルを解決する

私は真面目に生きてきた。必死になって努力した。
それなのに何もいいことはない。ただただ辛いだけだった、という人がいる。

そういう人は確かに努力してきたのであろう。しかし一体誰のために努力してきたのか。
嫌われるのが怖くて怯えている人の周りにはずるい人が集まる。
そしてトラブルが生じる。

しかし、その人は怯えていることで自分が問題を作ったことに気がついていない。
世間はだいたい弱い人を犠牲にしてトラブルを解決する。

あるホテルマンが、予約等々で何か騒ぎがあった時には、「譲ってくれる人を犠牲にして解決する」と言っていた。

このホテルマンは自分が解決するつもりはない。
騒ぎを穏便に収めるためには犠牲になる人が必要なのである。

「穏便に」というが、「穏便に解決すること」はホテルにとって利益になることなのである。

つまり譲る人は、ホテルの利益のために利用されただけのことである。
「ありがとうございました」と頭を下げるうしろで舌を出しているかもしれない。

この犠牲になるのが、いわゆる善良な人なのである。
彼の善良さは、他人にとってはトラブルを解決する道具であった。

なぜ彼は解決する道具になったのか。
彼は「なぜ私を選んだのか」反省しなければならない。

そうでなければまた道具にされる。
それは嫌われるのが怖くて怯えている心の中を見抜かれて、なめられたのである。
そこを反省しないかぎり、また道具に使われる。

あっちでもこっちでも利用されて、だまされてボロボロになっている
善良な人は多い。