空っぽな心

不安な子供は、親に喜んでもらうために自分の感情を犠牲にする。
走ったら親に喜んでもらえるか、勉強したら親に喜んでもらえるか、親の顔色をうかがう。

自分が何をしたいかではない、何をしたら親に喜ばれるかである。
このような家庭は、子供のすることを親が励ますとか、応援するとかいうことがまったくない家庭である。

他人の期待に応えることばかりしてきた子供には、心理的成長を期待することができない。
他人の期待に応えることばかりしてきた子供は、心の中が空っぽなのである。
社会的にどんなに立派になっても心の中は、空っぽである。

その空っぽな心を埋めるものが、栄光なのである。だから栄光追求が強迫的になる。
「人生でこういうことがしたい」ということがある人は、強迫的に栄光を求めない。

自分はこの人生で何をしたいかということがわかることで
どれほど多くの悩みが解決されるかわからない。

それがわかることで、自分の容貌に対する劣等感もなくなるかも知れない、
自分の能力に対する劣等感もなくなるかも知れない。

人は他人の期待と思い込んでいるものに従うことで自信を失くしていく。
いよいよ内面が空っぽで生きることが頼りなくなる。自分が頼りなくなる。

他人の期待に応えることでしか生きることができなくなる。
そして、他人がその人に、自分の好きなことを見つけて、それをすることを
望んでも、そのことを理解できなくなってしまう。

つまり、その人は他人の期待に応えようとしながら、他人の期待を理解できなくなる。
自分の好きなことをすることに激しい罪悪感をもつようになる。

自分の好きなことを見つけ、自分の好きなことをしてきた人の方が、
結果として他人の期待を間違わずに理解し、さらに愛情から他人の期待をかなえてあげられる。