苛められる人は対立を恐れる
苛める人は誰でも苛めるわけではない。
苛める子供は特定の弱い、防衛できない子供を苛めのターゲットして選ぶ。
自分が苛められていると自覚した時には、自分がなぜターゲットとして
選ばれたかと考えることである。
自分の中の何が相手をその気にさせたのかということである。
それを本気で反省しないと死ぬまで苛められる。
いや苛められることで死んでしまう。
苛められる人は対立を恐れる。
対立を恐れるものは、相手に飲まれる。
全部食べられてしまう。
苛められる人は自分を守ろうとしているのだが、実は自分を守っていない。
苛められる人は、相手の好意で自分を守ろうとしている。
しかし苛める人には、好意はない。
苛められる人は、こちらが武器を捨てたら相手はやさしくしてくれると思う。
こちらが武器を捨てたら、相手はこちらをいい人と思ってくれると思う。
そして武器を捨てる。
しかし武器を捨てたら苛める人はやさしくはしてくれない。
骨までしゃぶられる。苛められる人は、こちらが武器を捨てたら相手は
やさしくしてくれるといういつもの自分の気持ちで相手を推測しているのである。
苛める人はこちらが武器を捨ててもいい人とは思わない。
苛められる人は丸腰になって、自分をさらけだして、仲良くなろうと言っている。
しかし、苛める人は仲良くなりたくない。
ストレスを解消したい。苛めることで心を癒したい。
一人でも生きていける苛める人と、一人では生きていけない苛められる人の違いである。
苛める人は相手を支配しに来ているのに、苛められる人は仲良くなろうというのである。
自分とは全く違う人がこの世にいる、ということに気がついていない。