苛められるには苛められる理由がある
自分が苛められながらも、苛められてきたと気がつかない人は
たくさんいる。
そういう人は、何か自分の人生は不快だとは思っている。
何が悪いのかは分からないが、何か自分の人生は面白くないと感じている。
なんか生きづらいのである。しかし生きづらい原因は分からない。
いつも楽しそうなフリはするが、本当には楽しくない。
いつも周囲の人を好きだというフリはするが、本当に好きではない。
人と居る時に、相手を好きで、楽しそうなフリをするが、
何を話していいか分からない。
人と会っていても居心地が悪いのに、楽しそうなフリ、好きなフリをする。
そうするのは、あなたがやさしくて、弱いからである。
そういう、やさしいが弱い人は、自分の周囲の人に自分と同じことを
要求できない。
周囲の人は自分に責任ある行動を求めてくるが、では自分は周囲の人に
責任ある行動を求めるか?求められない。
やさしいが弱い人は、「あること」をしなければならないと感じているのに、
周囲の人には同じことを「してくれ」とハッキリと要求できない。
心のどこかでしょうがないと諦めている。
こういう人は苛められて生きてきたのである。
自分が熱のある時に働かされるなら、相手が熱のある時に働くことを
求めてもいい。
しかしやさしいが弱い人は、相手が熱のある自分に働くことを要求するのは
許すが、自分は相手に要求できない。
それはおそらく淋しいからであろう。
心底孤独だから相手にいい顔をしてしまうのである。
自分と相手は違った人間としてしか、物事に対処できない。
そうだとすれば、あなたは苛められて生きてきている可能性が強い。