他人の期待は重荷であるが、自分の期待は意欲である

ある人は、社会にものすごい不満を持っている。
そして、どうしてもその不満を爆発させなければならない時には、
グデングデンに酔って帰宅する。家

ベッドに入り、会社の悪口を言いながら眠り、翌日また何のためか
会社に出て行く。

そして、不満でも体制に従っていかなければ生きていかれない、と言う。
このような人は体制に従う、という言い方をしているが、幼い頃から、
親の期待に従うことを、体制に従うことと勘違いしているのであろう。exclamation

体制は、一方で従順な羊を要求していることも確かだが、
他方ではバイタリティーのある人間を要求している。

体制はそんなに親切ではない。手(パー)
一人一人の人間にどんな生き方をしてくれ、などと要求してはいない。

体制が支えられれば、あとの人がどう生きようと無関心である。
反体制の運動をしない限り、非体制的な生き方には無関心である。exclamation×2

有名中学から有名高校、有名企業に入り、出世コ-スを期待しているのは、
親であって体制ではない。

そして、今のような時代は、このコースをたどらなくても食べていける。
体裁をかまっているのはあなたやあなたの親であって、体制ではない。

体制と錯覚している親の期待に一方で従い、他方で不満になる。ちっ(怒った顔)
内面化された親の期待に従いつつも、自分の生き方ができないことで不満になる。

どちらともつかない生き方となる。常に中途半端な思いをして生きている。
同じ企業で働いていても、親から自立した人間が働いているのと、
まだ自立できないで働いているのでは、満足が全然違う。ふらふら

他人の期待は重荷であるが、自分の期待は意欲である。
会社の仕事であまりにもストレスが酷い人は、まだ他人の期待を内面化していて
自分の自分に対する期待を持っていない人である。

自分の自分に対する期待を持った人は、ただ全力を尽くす。
しかし、他人の期待の重圧にさらされている人は、当然、失敗を怖れる。がく~(落胆した顔)

たとえ心の中は計画でいっぱいになっていたとしても、それを行動に移す
ことができない。なんとなく満たされない毎日が続く。