自分を受け入れられない人は、偽善的である
自分を素直に受け入れられない人は、何をやるにも何らかの効果をねらっている。
それは自発的でないということである。何をやるのも大げさなのである。
このような人にとって、どうでもいいことを、さも重大事のように一緒に
論じてくれる人のほうが付き合い易いであろう。
偉くもないのに、さも偉そうにする時、そんな阿呆らしくて一緒にできないと
いう人より、一緒になってさも偉そうにする人のほうが付き合い易い。
やればすぐにできる何でもないことを、もったいぶってやる人にとっては、
やはりそれがさも大変なことのように見てくれる人のほうが付き合い易い。
だから、自己拒否型の人は、自己受容型の人ではなく、同じ自己拒否型の
人のところへ行ってしまうのである。
自己受容型の人は、もったいぶったことを言わないし、もったいぶって何かをしない。
できることはできるし、できないことはできないといった態度である。
自分を受け入れられない人は、偽善的であるが、それを認めていない。
これも一緒にやってくれる人がいれば、ますます自分は偽善者でないと思える。
誰かが一緒にやってくれれば、実際の自分から眼をそらし易いのである。
また、自分を受け入れていない人はずるい。狡猾である。
ところが、これもまた自分の狡猾さを認めていない。
逆に、「俺くらい堂々としている者はいない」とか、「あいつらは皆ずるくて」
というような言い方をする。
これもまた、誰か同じように狡猾な人が、他の人々に向かって同じように
ずるいことを一緒にしてくれれば、狡猾な自分から眼をそらせられる。
従って、利害が一致している限り、
ずるい人間はずるい人間と付き合っているほうが安心である。