甘えの欲求が満たされていない人の発想
自己関連妄想とは、他人のすることを、なんでもかんでも
自分と関連させて解釈してしまうことである。
道行く人がふと振り返っても、自分の顔を見たと解釈する。
自分とは関係のない内容の会話でも、自分をバカにしたと解釈する。
自分と関係ないことを自分と関係あると思い込んでしまう。
「こそこそ話をしているのは、私を避けているからだ」と言う。
それは憶測のしすぎだと言うと、「そうではなくて嫌われている」と譲らない。
そうではないと言っても納得しない。
それが自己関連妄想である。
自己関連妄想の人は、自分と関係ないことを「自分だから」されたと解釈する。
「いやがらせ」でないものを自分への「いやがらせ」とうけとるのは、
甘えている人の発想でもある。
あるいは、甘えの欲求が満たされていない人の発想といってもいいかもしれない。
甘えているのに甘えが通らないときに、「いやがらせ」と解釈してしまうのである。
彼らの場合、甘えの欲求が満たされて積極的な姿勢になっている人と比べて、
同じことを「いやがらせ」とうけとる確立は、はるかに高いだろう。
ボールがたまたま自分の前に飛んでくると、自分はボールを投げつけられたと解釈する。
自分の前に屋根から雪が落ちてくると、それを、その家の人の「いやがらせ」と
うけとってしまう。
自分の心が不満だと、悪く悪く解釈してしまう。
このような考え方を持つ者は、いつもまわりは敵だと思っている。
それに、心理的成長に失敗した人は、自分の人生だけは特別に困難があっては
ならないと考える。自分の人生に苦難があるということを認めたくない。
そこで「いやがらせ」でないものまで「いやがらせ」とうけとる。
「いやがらせ」とうけとって、私はいやがらせをされていると皆に訴えて
皆の同情が欲しいのである。