大人の落ち着きを身につけられない人

子供がいつになっても親から精神的に離乳しない場合がある。
四十歳になっても親からの精神的離乳を遂げていないでいる娘というのは、
四十歳の女性の持つ落ち着きがない。何か絶えず不満を抱えている。

もちろん、そうした娘が喜ぶ時もある。
それは、やはり親との関係における喜びであって、十代の女の喜びでしかない。

例えば、親に誉められて喜ぶとか、親と一緒に何処かへ外出するとかいう時は喜ぶ。
しかし、それらは所詮、十代の女の味わう喜びである。

四十代には四十代のもっと落ち着いた喜びがあろう。
十代には十代の喜びがあり、二十代には二十代の喜びがあり、三十代には三十代の
それぞれの喜びがある。

しかし、親からの精神的離乳を遂げていない人間は、いつになっても大人の
落ち着きを身につけることができない。

そうした精神的離乳を遂げないことについては、もちろん親にも子にも
双方に責任がある。

全ての親は、子供が自分から精神的に離乳することを必ずしも望んではいない。
特に寂しがり屋の親というものは、子供が精神的に独立することを憎む。

周りから絶えず求められ、感謝されることを望む親というのは、
子供を突き放すことを決してしない。

子供を突き放してしまったら、今まで子供から得ていたものを得られなくなる。
子供が親に精神的に頼っている時、親には、頼られているという喜びがある。
頼られるということで、無力感や劣等感から解放される。

自分がいなければあいつはダメだと思うことは、気持ちの安定をその人にもたらす。
しかし、突き放してしまったら、親はその時点から、子供からは何も期待できないのである。