騒ぐだけで何もしていない

人を見分けるということは、表面の言葉を信じないということである。
「大変だ、大変だ」と騒いでいる人が、一番大変なわけではない。

「苦しい、苦しい」と騒いでいる人が、一番苦しいわけではない。
「傷ついた、傷ついた」と騒いでいる人が、一番傷ついているわけではない。

逆に「傷ついた、傷ついた」と騒いでいる人が、人を傷つけていることもある。
深く傷ついても「傷ついた、傷ついた」と騒がない人もいる。

黙ってそれに耐えている人もいる。
「傷ついた、傷ついた」と騒いでいる人は、心が揺れているのである。
何かを隠しているのである。見つかると困るから騒いでいるのである。

「苦しい、苦しい」と騒いでいる人が、逆に周囲の人の重荷になっていることも多い。
「苦しい、苦しいと言いたいのはこちらだよ」と言いたいことがある。

また逆に、どんなに苦しくても「苦しい、苦しい」と騒がない人も多い。
いつも「苦しい、苦しい」と騒いでいる人は、実際にそれほど「していない」。

仕事にしろ、子育てにしろ、家のことにしろ、親孝行にしろ
それほど「していない」。

「苦しい、苦しい」と騒ぐことで、相手を引き留めようとしていることもある。
自分の身を守るために「苦しい、苦しい」と騒いでいる。

彼らは何もしなくてすべてやってもらいたいのである。
安易さを求めているのである。甘えているのである。

そのあてが外れたら「苦しい、苦しい」と騒いでいる。
「こうされた」と騒ぐ被害者意識も同じである。

自分のほうがやってもらおうとして思惑が外れたのである。
あまりにも繰り返し騒ぐ人は、自分は何もやっていない。

やるだけやったら騒がない。
騒ぐことで相手を脅かしているのである。