ありのままの自分を認めることから始めよう

優越感というのは劣等感を基盤にして生まれてくるものである
劣等感と劣等であることとは異なる。

駆け足が遅いくせに自分が遅いということを受け入れられず、
自分が選手になりたがるような人間を劣等感があるというのである。

そしてこのように劣等感を持つ者は、ハナモチならない優越感を持つものである。
優越感と自信の違いはそこにある。

優越感は劣等感を基礎にしているが、自信は劣等感と関係ない。
自信がある人間というのは、ありのままの自分が受け入れられる人間である。

自分が生きてきた証を持っている人間である。
そういう自信のある誇りに満ちた人間というのは大変魅力的である。

自分が美人でもないのに美人でないということを認められず、
ものすごい化粧をして美人ぶる女は劣等感の強い女であり、
そして今度は自分よりも美人でない女を見かけようものなら、
その女に対してものすごい優越感を持ったりするものである。

ありのままの自分の姿を受け入れて、その上で自分を磨こうとする
女性こそが魅力を発揮するものではないだろうか。

ありのままの自分の姿を受け入れるとは、今までの生き方を良くも悪くも
認めるということである。

今までの生き方を後悔して受け入れないときに、はじめてそれが
本当の失敗となる。失敗を受け入れたときに、失敗は失敗でなくなる。

そして自分を磨くとはそのような失敗をも含めて、経験の中から学んで行くことである。

自分が美人だと思って一生懸命化粧することは、自分を磨くということと違う。
本当に好きな人に対して自分はどういうことができるかを考えるようなことが、
真に自分を磨くことに通じていく。

そして本当に好きな人から受け入れられて自信もつく。
いくら多くの人からでも、好きでもない人に好かれたのでは、
真の自信につながらない。そして勇気が湧いてくるわけでもない。

しかし好きな人に好かれれば、自信も出るし、勇気も湧く。