正義で悩みは解決しない

父親は「私は今まで子供に正しいことしか言ってない。いつも叱っていた」
と言った。そして「人の物を盗んではいけないと子供には言ってきた」
と主張するのである。

父親は、単に自分の心の中の怒りを息子にぶつけているだけである。
自分自分に対する怒りを、子供を通して表現しているだけである。

この父親は、子供を操作するために煽てることはあるかもしれないが、
決して子供を誉めない。子供を叱るだけである。

それは自分が自分に対して怒りを持っているからである。
自分が自分を嫌いな親は決して子供を誉めない。

こういう父親は道徳家に見えるが、心を見ればサディストである。
もちろん、自分はサディストと全く意識していない。

この父親は「なぜ子供は非行に走ったか?」と決して考えない。
子供が何かを盗む時には愛を求めていることがある。

子供が盗みをした時に、子供はなぜ盗みたくなったのか?
それを考えるのが親である。

親に不満はないのか?盗みをした子供の心の迷いは何なのか?
子供が他人の家の金品を盗む時には、本当に欲しいものが手に入っていない時である。

両親は「なぜ子供が他人の家のものを盗むのか」を反省する必要があるだろう。
自分たちは他人の家をバカにした言動をしていないか。
食事中の話題がそういうものではないかなどである。

盗んだことを全て子供がしゃべった時には、それ以上子供を責めないことであろう。
子供が悪い事をしたと思ってしゃべっているのにさらに責めるのは、
子供を責めることで親が自分の心の葛藤を解決しているのである。

子供が悪い事をした時には、親にとってモラルハラスメントの絶好の機会である。
自分の心の葛藤を解決するもっとも安易な方法は、人を巻き込むことである。

正義で悩みは解決しない。正義で子供は成長しない。