お互いに言葉の交換しかしていない

虚栄心の強い夫と心の触れあいを求めている妻とではなかなか話が通じない。
妻は手を伸ばしても手を伸ばしても夫に届かない。

その虚しさが妻にはある。
虚栄心の強い夫は心の触れあいを求めるということが理解できない。

だから心が触れあっていないということからくる不満や虚しさを理解できない。
相手が心の触れあいを求めているということが理解できるくらいなら虚栄心はない。

このような人と結婚した人が相手に不満を持っても、なかなか相手にも
周囲にも説明しにくい。

心の触れあわない人と一緒にいて、心が通じあわないことで淋しい思いをしても
相手は理解できない。

夫が心の触れあわない人だったとする。
奥さんが淋しいと言っても「俺くらい家にいるビジネスマンはいない」と
いうようなことを言う。

心の触れあわない人とではどうしても話がすれ違う。
家にいるということは具体的に証明できる。

しかし自分が悲しみに沈んでいるときに明るく大きな声で見当違いの
自慢話をするやり切れなさは、なかなか説明できない。

心の触れあわない人と結婚した人などが話し合いながらついに理解しあえないで
「そんなことを言っているのではない」と叫ぶ。

それは相手の「心」とか「気」とかいうことが問題のときである。
同じ言葉でも感情の伴った言葉か、感情の伴わない言葉かという食い違いであろう。

そしてこの言葉よりも根源的な感情の交流を通して人の関係は深まる。
そうしてお互いにかけがえのない人になる。

だから必ずしも長年連れ添った夫婦が気持ちの上で最も親しい人ではない。
お互いに言葉の交換しかしていないのである。

そんな夫婦が熟年離婚をする結果になる。
熟年離婚をする夫婦は実は長年にわたって仮性コミュニケーションを
してきただけなのである。

つまり表面的にはコミュニケーションが行われているように見えるが、
心の深いところでの触れあいがない。