ただ耐えているだけでは恨みで人生が終わる

耐えるということについても大切なのは、前向きのエネルギーとの
バランスである。人によっては耐えることを最高の美徳とする。

忍耐を最高の美徳としていると、「この世界はこんなもの」と、
すべてのことを運命と諦めてしまうことになる。

何事も「しょせんこんなもの」と決めてかかり、その世界から
逃げ出そうとも、変えようともしなくなる。

酷い人ばかりに囲まれても、世の中は変わらないと諦めて、
その世界に安住することになる。

「この土地は実らない」と諦めて、そこで今まで通りの生活を
続けるのは忍耐の美徳とは言い難い。

何もしないことを忍耐とは言わない。無気力を忍耐と言ってはならない。
その土地にその作物が実らなければ、作物の種類を変えて植えてみる。

あるいは違った土地を探してみるというのも大切であろう。
しかしだからといって、忍耐をしないですぐに自分のいる場所から
逃げ出してしまうのも、生活がいよいよ荒んでくる。

「この土地が実らない」のは自分の努力が足りないのか、それとも、
もともとその作物は実らない土地なのか。

大切なのは、ここは耐えるべきなのか、耐えてはいけないのかの判断である。
忍耐なしに何事も達成できないし、日々の生活も成り立たない。

しかし、前向きのエネルギーがないから、ただ耐えているにすぎないことを
美徳としては、生きる意味を見失う。

美味しいものがなければ美味しいものを探す努力が必要である。
その努力が生活に生きがいをもたらす。

探せば美味しいものがあるのに、まずいものをじっと我慢して
食べていることは忍耐の美徳ではない。

美味しいものを探す前向きな努力をするよりも、まずいものを食べて
「俺はこんなに耐えている」と耐えることを誇示しても、
最後には恨みだけが残る。

美味しいものを探す努力をしないで、じっと我慢してまずいものを食べて
「誰も私の気持ちを分かってくれない」と言っていても、
恨みだけで人生は終わっていく。

忍耐というのは、すべて自分のできることをしたあとで、
なおどうにもできない現実を耐えることである。