共生関係

しっかりとこの世の中につながれて生まれてくる人、つまり母なるものと
一体となって生まれてくる人は、祝福されて人生をスタートする。

しかし母なるものと切り離されて生まれてくる人、つまりこの世の中から
拒絶されていると感じつつ生まれてくる人は、呪われて人生をスタートする。

ところがこの決定的ともいえる人生のスタートの違いは眼には見えない。
人々はよく裕福な家に生まれてくる人と、貧乏な家に生まれてくる人との
違いに注目する。

それは眼に見える違いである。眼に見えるだけにその不公平に誰でも気がつく。
親自身が喪失感を持ちつづけて大人になっているとする。

喪失感を抑圧した親は子供にしがみつく。
子供を一方で拒否しながら他方で子供にしがみつく。

子供の側からすれば、一方でしがみつかれながら他方では拒絶される。
子供もこの状態で親にしがみつきながら、心の底では親を信頼していない。

お互いにしがみつきあいながら、敵意を抑圧して深いところで反発しあっている。
お互いに自律性を犠牲にしたうえで関係は続く。

お互いに自らの喪失感ゆえにしがみついている。
しがみつくことで喪失感を補おうとしている。

しかし、どんなにしがみついても喪失感は消えない。
なぜなら他方でお互いに敵意を抑圧しているからである。

相手にしがみつくゆえに実際の自分を犠牲にする。
自律性を犠牲にするゆえに敵意も生じてこざるを得ない。

子供と共生関係にある親は、子供が自分以外の人間と関係することを禁じる。
それを感じとった子供は誰と仲良くすることもできない。

子供が自分以外の人と関係していくことを喜べない。
子供に学校の仲間ができることを喜べない。
ここが情緒的に成熟した親と、共生関係を保とうとする親との違いである。