努力と忍耐の人生の結末は不満と恨みだった

親の言うことに服従して、何事にも「ハイ、ハイ」と言う神経症的な良い子がいる。
そうした良い子は、本質的には普通の人よりもわがままである。

しかしその本質をすべて隠して逆にわがままでない良い子を演じている。
山ほど言いたいことがある、したいことがある、怠けたい、甘えたい。

しかし怠けたいけれど、怠けてはいけないから怠けない。
自分の中の怠けたいという欲求を受け入れない。

その反動として厳しい生活態度で生きる。
つまり社会的に見て立派な生活態度である。

そうした人が結婚して、親になるとする。
妻が怠けた態度をする。子供が安易な生活態度に流される。

この父親は家族の人々のこうした行動をどう感じるか。
当然、許せない。

この父親は規範意識から自分の中に実際にある欲求を否認している。
そして社会的に見て立派な生活態度をとっている。

彼の心には葛藤がある。社会的に見て望ましい生活態度と、
実際の欲求の葛藤である。

その心の葛藤は、実際の欲求を否認することで、表面的には解決している。
あるとき父親は、子供が怠けているところを見る。だらだらと過ごしている。

父親の観点からすれば、社会的に見て望ましい態度ではない。
子供の怠けた生活態度を許せない。

自分の中にありながらも、否認したものを見せつけられるのだから、余計許せない。
父親の怒りは激しい。だが、いくら子供の生活態度を叱っても、
子供の生活態度は直らない。

そのうち子供は反発を強めて、いよいよ望ましくない方向に走る。
頼みとする妻もまた望ましい生活態度ではない。
しかも子供の立場に理解を示す。父親の怒りは日増しに募っていく。

会社でも同じである。自分が頑張っているのに、会社には期待したほど
認めてもらえない。

心に抑圧のある彼に上司も同僚も部下も親しみを感じないから、
仕事が上手くいくはずがない。

こうして頑張った一人の男は家庭でも会社でも挫折していく。
小さい頃から良い子で生きてきた彼。

でも努力と忍耐が彼にもたらしたのは不幸だった。
彼の怠け者願望が子供の頃に消化されていたなら、彼の人生は
全く違っていたかもしれない。

もしそうであったら、周囲の人のあまり社会的には望ましくない態度に
もっと寛大になれたかもしれない。

ある意味で彼は立派すぎたのである。ただ彼の立派さには無理があった。
その無理が彼の努力と忍耐をマイナス効果しかないものに変えてしまった。