些細なことがその人を不安にする

いつも人に対して攻撃的になっている人がいる。
とにかく相手をやっつけようとしている。大声を出す。罵声を浴びせる。

知らない人にさえ、まずケンカ腰で接してくる。
怒鳴りあうことが何でもない。怒鳴りあってやっつけることで安心しようとする。

このような人は孤独で不安な人なのであるが、その人から敵意を
向けられた人のほうは怯える。がく~(落胆した顔)

普通の人は、他人から敵意を持って攻撃されれば怯える。相手が巨大に感じる。
ひどい罵声を浴びせられても、平気な人は少ない。

大声で罵声を浴びせるような人は、不安を生み出す状況を回避する一つの
方法として、敵意と攻撃を用いているのである。

しかしその不安な心が、なかなか周囲の人には見えない。ふらふら

女性から罵声を浴びせられれば、たいていの人は怯える。
「これはとんでもない女だ」と思って逃げる。足

そういう女性は、よくもまあ、というほどしつこく敵意を持って攻撃してくる。
それは、相手をやっつけることで得られる安心感は一時的なものだからである。

そこでいつも安心しているためには、いつも相手を攻撃していなければならない。
したがって何かのことでこういう不安な人に絡まれた人のほうはたまらない。

なぜそこまでしつこいのか?
それは一つには、敵意ある攻撃による安心が一時的なのものであると
いうことであるが、もう一つある。

それは攻撃しながらも心の底では、相手との結びつきを求めているからである。
敵意ある攻撃は、ある意味で家庭内暴力と似ているところがある。手(パー)

家庭内暴力の子供は暴力の裏で母親からの愛情を求めている。
だから暴力がしつこくなる。パンチ

攻撃の裏で安心を求めているような攻撃の特徴は、些細なことでも
攻撃が行われるということである。

それは些細なことがその人を不安にするということである。
つまり些細なことで怒る。そして敵意と攻撃は人は遠ざける。